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院長紹介

院長 和田匡史院長 和田匡史(わだまさし)

趣味

サッカー…小学3年生 9歳のころからやっています。
最近は昔ほどのスタミナがなくなってきて、すぐにバテます…。でもサッカー大好きです!ヘタですがみんなとワイワイやるのが楽しいです。 現在、徳島県社会人リーグ3部(一番下。。。)ラガッチ蔵本 所属です。
家庭菜園…最近はトマトやなす、キュウリなどを育てています。とれたての野菜はおいしいですね。
今年はイチジクが沢山取れました!
知らない街での散歩…歯科の勉強会や研修に出かけたときに、知らない風景の中を歩くのがとても好きです。今年(2011年)の秋にはインプラントの研修でアメリカに行くので、とても楽しみです。どんな風景が待ってるかな〜。
地図を眺める…行ったことがある場所も、行ったことがない場所も、地図を眺めているとワクワクします。

経歴

1992年 徳島県立城ノ内高校卒
1999年 大阪歯科大学卒 歯科医師免許取得
2003年 徳島大学歯学部大学院卒(口腔外科学講座)歯学博士号 取得
2003年〜
徳島大学歯学部第一補綴科 臨床登録医
鳴門市 とみなが歯科医院 高松市 くぼ歯科にて非常勤勤務
和田歯科医院 副院長
2007年 厚生労働省認定臨床研修指導医
2009年 和田歯科医院 院長
2016年 和田歯科医院 理事長

所属学会、スタディーグループ

・日本口腔外科学会
・日本口腔インプラント学会
・MAAID

修了セミナー

・CERIエンドコース
・SJCDベーシックコース
・グローバルデンチャ―システム
・イタリア ピエゾアカデミーコース修了
などなどいっぱい


こんにちは。
和田歯科医院 院長 和田匡史です。
私が、どのような経緯で「健康な患者さんをもっと健康にしたい」という、ヘルスプロモーション…予防にも力を入れた今の和田歯科医院をつくるに至ったのか。私のルーツでもある、祖父の代から続く和田歯科医院の歴史から、ご紹介したいと思います。

和田歯科医院の歴史

和田歯科医院は、祖父、和田富雄が現在の医院の近くで70数年前に開院しました。
(近くの旧撫養街道沿いに今も当時の外観のまま、残っています。レトロな感じがします。)


その後、昭和53年に父、和田明人が現在の隣接地に新築移転しました。

当時はモダンな建物で 当初は喫茶店と間違えて入ってくる方が、沢山おられたようです。

祖父、父の背中をみながら、地域の方に信頼されている姿を見て、「自分も歯科医師になるんだ!」と子供心に考えていました。

2009年3月に和田匡史が院長となり、昨年現在の場所(旧医院の東隣)に新築移転開業しました。


院長の生い立ち

〜幼少期〜

幼稚園のころから、近所の友達(小学6年生ぐらいから幼稚園児までぐらい)と、近所の山や小川などで、魚とり、虫取りなどをして遊んでいました。

さらさらと流れる小川が大好きで、そこで網をもってザリガニや、小さな魚をとるのが日課でした。山に登って秘密基地?を作ったり、探検したり、今思えば、結構アクティブな子供だったと思います。 たまたま、近所にそんな遊びが上手な友達がたくさんいて、いつもみんなで泥んこになってました。

祖母には、「そんなとこ行ったらマムシがいるからあかんよ!」って言われていましたが、楽しさにはかえられません。夢中で遊んでました。いまでは、近所でもそんな光景はあまり見られなくなってしまいましたね。

〜小学生時代〜

地元の小学校に通っていました。小学1年生から3年生までは水泳を、3年生から6年生まではサッカーをやっていました。さほど運動神経がいいわけではありませんでしたが、走るのだけは早かったです。(自分でそう思っているだけかもしれません。。)

今はありませんが、鳴門の桑島サッカー場で毎週試合をしていた頃が懐かしいです。(帰りに、みんなで100円のうどん屋さんで食事をするのが、とても楽しみでした。)当時とても弱いチームで、鳴門市内のチーム相手に、ほとんど試合に勝った思いではありません。。。。それでも一生懸命走りまわっていたことが思い出されます。

たまにしか勝つことはありませんでしたが、はじめて試合で勝った時のことは鮮明に覚えています。僕自身もはじめて点を取ることができ、チームもはじめて勝ちました。(僕が出た試合では。小学4年生でした。)あまりの嬉しさに泣いてしまったんです。その時の一体感を忘れることはできません。これが今でもサッカーの社会人チームに所属し、サッカーを続けている原点です。

チームワークの大切さ。夢中でやることの楽しさを覚えたのもこのころたっだのだと思います。

〜中学生時代〜

中学生になって、すぐサッカー部に入りました。勉強もそれなりにやっていましたが、どうしても部活の思い出が多いです。はじめて、先輩、後輩という上下関係というものを肌で感じました。はじめて社会?というものを体感しました。。

正直3年生は怖かったです。体も大きくサッカーの技術も高く、全くかないませんでした。小学生のときからサッカーをしていたので 自分では結構うまいと思っていたのに、全く通用しません。。そして、1年生は、毎日玉拾い、ランニング、基礎練習ばかり。。。ただ、あとになって思えば、それがのちの基礎となっていたんですね。

1年の秋から、レギュラーとして少しずつ試合に使ってもらえるようになりました。そのころ自分でも急にうまくなっていく自分を実感しました。とても充実していたことを覚えています。やはり、基礎は大事です。今でもそう思っています。あと、うまい先輩のまねをすること。これも上達のためには必要です。うまい先輩の技術を真似してやろう!と思っていました。

2年生になるとサッカー経験者の先生が赴任してきて、サッカー部の顧問になってくれました。その先生とは何度も衝突しましたが、僕らの全く知らないことを教えてくれました。それは戦術です。それまでは、ただ個人の技術を上げるとこばかりに目を向けていましたが、 その先生はチームとして、勝つためにはどうしたらいいのか?ということを指導してくれました。はじめてのことだったのでそれは僕らにとって戸惑いと、反発、驚きの連続でした。(今のサッカーは後ろからつないで、組み立てて行くのは当たり前だし、ラインコントロールも当たり前ですが、それすら知りませんでした。)

実際、その先生と衝突した生徒も多く、同級生の半数以上がやめてしまいました。僕らの学年は強いチームにはなれませんでしたが その先生は数年後には結構強いチームを作ったそうです。おそらく一回りしたころですね。

今から思うと、基礎の大切さ、レベルの高い人のまねをして学ぶ、広い視野で考える(戦術)、人間関係、リーダーシップの大切さ など、多くのことを学んだいい機会だったと考えています。

〜高校時代〜

高校は自転車で1時間ぐらいかけて徳島市内の進学校に通いました。当時の私にとっては、"徳島市内に行く"ということはとてもうれしかったのです。何もない田舎からデパートのあるような都会?に行ける!というイメージに完全に浮かれていました。

高校入学当初は1年間だけでもサッカーやろうかなと考えていました。が、友達との帰りの道中の寄り道、土曜日(当時、はんどんでした。)みんなで、昼ご飯を食べに行ったりと、楽しいことに流されていきます。いつのまにか、部活で毎日夜遅くまで練習に明け暮れ、10数キロの道のりを自転車で帰ることが、しんどいように思えてきてしまいました。 

今思うと がむしゃらさに欠けていた高校生活でした。勉強の方も好きな教科はとことん勉強するが、嫌いな教科からは逃げてしまっていました。

ちょっと自慢ですが、地理という教科が得意で全国模試でもトップクラスでした。単に地図を眺めるのが子供のころから好きだったからだと思います。理系の私には受験には何の役にも立ちませんでしたが。。逆に理系なのに 物理が苦手で嫌いで成績も当然お恥ずかしいような状態でした。

高校時代は 今でもずっと付き合いのある、友人との出会いの場でした。卒業してから今日までずっと、お盆と正月にはみんなで集まってワイワイやっています。今から思い返すと、ほほえましい思い出ばかりです。

〜大学時代〜

大学時代の6年間は、いろんな意味で 沢山の経験ができた時間でした。

入学当初は、関西人の底抜けな明るさんに驚いたり、ちょっと引いてしまったりもありましたが、そんななかで自分の幅も大きく広がったと思います。(プロのお笑い芸人より面白い面々がそろっていました)全国からあつまった、いろんな個性のある仲間と 一緒に勉強したり、体育会系クラブで活動したり、旅行に行ったり、お酒をのんだり、いろんなはじめての経験をした時代です。

大学と言っても、授業の時間割は 高校時代同様、月から金曜日朝9時から夕方5時までびっしりでした。  大学では、結構休みがあって自由なイメージがありましたが、専門職を養成するための大学だけあって、そのあたりは厳しかったですね。とくに実習は、1回でも休んでしまうと単位が取れない状態でしたので、朝寝坊気味の私は、いつも友人に電話で起こしてもらっていました。

一般の大学と違って、卒業すればみんな歯科医師への道を進むことが決まっているので、入学して早い段階から みんなが、将来の仕事のイメージをもって勉強していた?と思います。

実習、試験に追われる毎日でしたが、部活もがんばってやっていました。ひょんなことから、バドミントン部に入部することになりました。軽い気持ちで始めたのですが はじめてびっくり!恐ろしくハードなスポーツでした。以前、サッカーをやっていたので楽勝だと思っていましたが、地味ですがとてもハードで、かつ、戦術的なスポーツでした。 風があるとシャトルが動くので 暑い夏もカーテンをしめきった暗い、暑い体育館でやっていました。どうしてあんなに頑張れたのか不思議なくらいです。今思えば、一緒に目標に向かって 汗を流す仲間がいたからこそ、出来たのだと思います。

6学年もあるので 先輩後輩の関係は長く、協調性を養う場としては結果的にはもってこいの場所でした。 先輩、後輩はもとより、同級生でさえ 意見の食い違いは日常茶飯事。でも不思議に6年もたつと 同じ苦楽をともにした 戦友?のような 仲間意識が生まれていました。

それぞれのバックグランドは大きく差があっても、共通の目標と コミュニケーションの機会が多ければ、いいチームができるのだと体感しました。現在の医院運営においても、何かしら役に立っているのかもしれませんね。

〜大学院時代〜

大学卒業後、口腔外科のある大阪の大きな病院で勤務するか、大学院に進学するか、かなり悩みました。将来は大学に残るのではなく、開業医としてやっていこう!ということはきめていました。

はやく開業するためには、卒業してすぐに開業医に勤めることが早道であることは理解していましたが、やはり、安全な医療を提供するためには、全身的な管理の知識が不可欠だと考えていました。そのためには、遠回りになるかもしれないが、口腔外科、もしくは麻酔科でしっかり研修をしたい!と思っていたので、それが出来る職場を探していました。

そんなとき、たまたま 私のいとこが、徳島大学歯学部の第2口腔外科学出身であったため、進路の相談に乗ってもらったのです。 当時、第2口腔外科の大学院は 4年間 外来、病棟での臨床にも携わり、且つ半年間の麻酔科研修も受けられるとういことでした。(今は知りませんが。。。) それはぴったり!と思って、大学院の入試を受けて入学しました。

ところが、臨床のことで頭がいっぱいだった私は、医局に入ってから研究の分野の比率の多さに、びっくりしました。大学院は研究をするところなので当たり前なんですが、勝手に「臨床がいっぱいできる!」というイメージだけで飛び込み、壁にぶち当たりました。当然ですよね。。。

通常、9時から夕方まで外来や、病棟での勤務、そのあとに 研究、実験が待っている、とういう毎日でした。臨床もはじめは覚えることがいっぱいで テンテコ舞い、そのあと上司の先生について実験があり、ここでもテンテコ舞い、要領も悪かったので 毎日なかなか帰宅できず、日付が変わるまでに終わることはまれでした。

入局して3カ月目には、もう やめようか。。。なんてことも頭をよぎりましたが、投げたしたくない!という気持ちのほうが なんとか勝り、同期のいい仲間がいたこともあって なんとか踏ん張ることができました。一般の開業医では到底、目にすることができないような症例、手術をも目の当たりにし、歯科医療の底の深さと、自分自身の無知、経験不足を痛感することばかりでした。そのなかで、なんとかついていった、というのが正直な感想です。

当時の医局の専門分野は、腫瘍研究でした。
私自身の 論文のテーマも癌抑制遺伝子がテーマでした。
直接、自分の将来の臨床に役立つものではなかったのですが、ものの考え方の基礎はここで身に着いたものなんだと思います。ストレスも、やりがいも満載の4年間でしたが、多くの先生方、看護師さんに指導していただき、多くのものを得ることができたと思っています。なにより、患者さんからも多くを学ばせてもらいました。(悪性腫瘍をもつ患者さんも多かったです。)

大学院の4年間は メンタル的には厳しいことも多かったですが、あとになって、本当に大学院で学んで良かったと思えます。苦労して、博士号の学位も取得しましたが、私の中では、あくまで「おまけ」との位置づけです。博士号が目的で大学院にいったわけではありませんので。
(もう一回行きなさい!といわれたら、まず、今からは行きませんが。。。。体力的に無理です。)

〜勤務医時代〜

大学院を卒業後、医局に残ろうかどうか迷いましたが、はやく歯科医師としても一人前になりたい!と思い、大学には研修登録医として週1回主にインプラントの診療しながら、数件の開業医に勤務することにしました。

歯科医師として私が最初に学びたかったのは、歯の根っこの治療でした。歯内治療という分野です。建物の工事でいえば、基礎工事の部分に当たります。地味で手間のかかる分野ですが、当時からとても大切な治療だと考えていました。

その分野では、当時、京都の山田先生が最先端の治療をされているとのことで、山田先生のグルーブで技術を学びました。大学では教えてくれない、最新の治療レベルに、おどろき、まさに「目からうろこ」状態でした。

さらに富永先生にから臨床の多くを学ばせていただき、それが、今の診療の基礎となっています。開業医としての楽しさ、やりがい、厳しさを学んだ時間でした。なにより、「思い」と「情熱」が一番!その後、現在まで、休みの日は 現在まで半分以上は、研修や学会、に貪欲に参加し、技術の向上と知識の習得に努めています。(月の半分は 日曜日に家を空けてしまっていたので 妻には申し訳ない気持ちでいっぱいです。今後はペースを少し落として家族との時間をもっと大切にしようと思います。)

力を入れている、予防歯科と、インプラントに関してのセミナーへの参加が多いです。特にインプラントに関しては 大学での診療に留まらず、海外での研修にも参加し、より安全で機能的なかみ合わせをもとめて 日々研鑚しています。

〜副院長時代〜

副院長として和田歯科医院に常勤として勤務するようになりました。当時院長であった父とともに診療を一生懸命頑張っていました診療方針の違いもありましたが、かなり自由にさせてもらい、感謝しています。(いろいろな先生から話を聞くと、意外に、親子で診療方針の食い違いがでることも多いようです。)

次第に来院者が増えてきて嬉しかったのですが、ひとつ釈然としないものがありました。
痛い、噛めない、などの理由で来院されるかたが多く、それが解決してしまうと、来院が途絶える。数年後また違う場所が 虫歯や歯周病になって来院し、治療する。こういったことが繰り返されることが何度もありました。

一生懸命頑張ってはいますが、何か違う。。。 歯科医院は痛いときとか困った時だけにイヤイヤ通う所になってしまっている!と 気がつきました。歯科医院のイメージは当時そんなもんなんだ、と勝手に思っていました。予防の話をしても、定期的なケアに応じていただけるのは20%程度でした。なにか、心のどこかで引っかかりのあるまま診療していたことを覚えています。

あるとき、雑誌で予防を中心とした歯科医療を実践されている先生の存在を知り、「これだ!」と直感し、すぐにその先生の診療体系、考え方を学び、和田歯科医院に取り入れました。そこから、医院が明るくなり、笑顔のある歯科医院に変化していきました。

自分の健康のために自らの意思で、歯科医院を利用する――つまり、健康づくりの場所として歯科医院を受診する方が次第にふえていき、さらに明るくなってきました。

このような経緯を経て、少しずつ来院者が増えてきましたが、当時の和田歯科は駐車スペースが狭く、医院自体も老朽化してきたこともあり、理想の医院を作るため、思い切って隣接地に新築移転を行うことにしました。2009年3月新しい和田歯科医院が完成し、それに伴い、私、和田匡史が院長に就任しました。

〜現在…歯科医の本当の仕事とは〜

痛くなってから、悪くなってから歯科医院へ行くのではなく、定期的に歯と歯ぐきをケアすることが、お口の健康を維持し、ひいては全身的な健康、精神的な健康――すなわち、「幸せと笑顔」につながっていきます。そのことを地域のみなさま、患者のみなさまにお伝えし、実践していくことが、私の大切な使命のひとつです。

歯科治療というのは、仕事を通して来院者の健康づくりと幸せに貢献できる、素晴らしい仕事です。
来院者からの感謝の言葉、笑顔が、私にとってのなによりのご褒美です! 私は「魂のごちそう」と思っています。しかも、もう少し広い視野で考えてみると、健康な方が増えれば当然医療費も減っていきます。私たちの仕事は、回りまわって、現在と未来の世の中に貢献できるんです!

健康な方が、もっと健康になるのをサポートし、お手伝いするために、私はこの仕事をしています。
患者さんが笑顔で来院し、笑顔で会話をし、ケアをして、笑顔で帰っていただけることを目標としています。
鳴門市で地域の方の歯と健康を守るために。そして、もっともっと、「ありがとう」と感謝してくれる患者さんの笑顔があふれる歯科医院にするために、私はこれからも、この地でがんばっていきます。

長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
あなたと医院でお目にかかれるのを、そして、あなたの健康をサポートできることを、楽しみにしております!

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